冬虫夏草研究の歴史

冬虫夏草研究の歴史

古来より冬虫夏草の一部は薬用として珍重され、薬用資源としても重要な位置を占めてきました。


中国

冬虫夏草は中国では古くから子実体を菌核化した宿主をつけたまま採集し乾燥させ漢方の生薬もしくは中華料理の薬膳食材として珍重してきた。

確認されている冬虫夏草について記された歴史的書物は16世紀の中国まで遡り、中国の本草学を集大成した「本草網目」に挿絵からセミタケ類だと判断される蝉花の姿が記載されています。

セミタケ(中国名:蝉花)

本草綱目には冬虫夏草16.2gをアヒルの内臓を取り出したものに詰めて縛って醤油や酒と煮込むことで薬効がアヒルの全身に染み渡り、朝鮮人参一両(約50g)にあたる効果が現れると記述されています。

この処方は中老年の体質の弱い者に適し、初期の老化を予防する効能があるとされています。

1757年には清の呉儀洛が「本草従新」にて「冬虫夏草、肺、胃を補う、甘、平、肺を保ち、腎を益し、血を止め、痰を化し、労嗽を巳む」と記述を行い、1768年には青木昆陽が「昆陽漫録補」に冬虫夏草の記事を掲載しました。
19世紀に入り、1800年には蘭方医である広川が「長崎兄聞録」に清の「書隠叢説」から引用した夏草冬虫の記事を掲載しました。
1832年の趙学敏の「本草網日拾遺」にも味甘、性温、益肺腎、補精髄、止血化痰、為強壮薬、主治虚労咳血、陽痿遺精、腰膝疼痛に対して薬効があると記載されております。


西洋

西欧ではセバスティアン・ヴァイヤンが1707年フランスのヴェルサーユで2種類の冬虫夏草を、1711年には同じ場所の近くの野原でハナヤスリタケを採集し、1722年にこの3種類をClavariaとして定義しました。
1727~1729年に出版された『Botanicon Parisiense』にサナギタケとハナヤスリタケの図が記載され、1723年にはイエズス会の宣教師ドミニック・パルナンが初めてヨ―ロッパに中国の冬虫夏草を届け、1725年にはレオミュールがフランス科学アカデミーの集会で紹介し、翌年に論文を報告しました。
この論文により西洋のサナギタケ、ミノムシシロサナギタケ、ハナヤスリタケと東洋の冬虫夏草が初めてヨーロッパに認知されました。
1754年スペインのフランシスコ会修道士ホセ・トルービアがカリブ海のアンティル諸島において蜂に寄生する冬虫夏草であるハチタケを紹介し、その後、植物性昆虫と名付けられました。
1764年ワットソンがこれについて言及を行い、この図を見たヨーロッパの学者たちは植物性昆虫に対し大きな関心を抱いたそうです。
1761~1874年にかけてオランダで刊行された『デンマーク植物誌』には初めて冬虫夏草であるサナギタケの彩色図譜が掲載されています。

ハナヤスリタケ
サナギタケ(中国名:鱗蛹虫草)
ハチタケ

1858年イギリスの動物学者・著作家ジョージ・ロバート・グレイは私家版として虫生菌の最初のまとまった著作と思われる『菌寄生の寄主として知られる昆虫についての観察』を出版しました。
1861年から65年にかけて医師であり初めての菌類画家といえるパリのトゥラーヌが、法律家であった兄のトゥラーヌと共に写実的な図譜を添えた『Selecta fungorum carpologia』を著わしました。
この図譜はその後1900年代前半までの欧米の虫生菌図譜に転載され、大きな影響を与えました。


カメムシタケ

1892年J.Cookeにより虫草の詳細について記載した『Vegetable wasps and plant worms』が出版され、これにより冬虫夏草の存在が世界に広く知られるようになりました。
1951年、英国、グラスゴー大学教授のCunninghamは、サナギタケの培養液から枯草菌、抗酸菌に効果のある低分子化合物の核酸物質コルジセピンを単離させ発表しました。


日本

1977年に日本医学会東北支部大会で、東北薬科大学癌研究所・佐々木健一教授、石川正明先生らと矢萩信夫・禮美子の共同研究である『ハチタケの人工培養とその抗腫瘍性について』を発表しました。
これにより冬虫夏草に抗腫瘍性(がんに効果がある)がある事を世界で初めて明らかにしました。
詳しくは次項の「冬虫夏草の抗腫瘍性 がん研究の始まり」をお読み下さい。